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8月, 2024の投稿を表示しています

地面師、見た

 土地の売買で所有者に成りすましして金だけもらっての詐欺集団の話。 ある程度実話なのね。 全体に面白いっす。 豊川悦司ちょっとやり過ぎだけどw 後半割と無難な展開になってしまった感じはあるが。 もうちょっと、スパイ映画みたいにみんなで裏切りまくって誰がどっちについてるのか、になるかと思いきやミスやベタな困難な感じかも。 でもさ、相続関係をやってる最中に見ると、あー、おれが揃えてる書類ってこういうことに使われるのね、ってとても勉強になるw 結局本人確認が一番できないことになるのねえ。 というのも面白いところであった。 展開も早いしテンポいいです、おすすめ。

THE FIRST SLAM DUNK 観たよ

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 Netflix再開、溜めて後々見るとかいう精神的余裕ないので気にせず再開です。 さてSLAM DUNKです。 実は原作ちゃんと読んでないので結末知らずに観た。 あーこれが山王戦なのね。 山王のモデルになった能代工業、その田伏勇太は今見てもすげえと思うのよなあ。 なお、応援が怖ぇえw で、映画どうよ、とな。 バスケとしては良い。 が、過去振り返りがなんかな。 ずっと、ただただバスケしててほしかったかも。

葬儀後~、ようやく一旦は落ち着き

 通夜、葬儀までは葬儀屋さんが主導してくれるので慌ただしいけど考えることは少ないんだねえ。 そのあとは、朝から寝るまでずっと書類・手続きのことをやってるか・調べてるか、です。 マジで朝から寝るまで。 マジ受験勉強かよな。 父親の場合、お金の流れはほぼ整理されていたし、支払いの書類なんかもまとめてあったんだけどそれでもめちゃくちゃ大変。 整理されてても家中探してるし。 それを全部リビングの床にまとめて積んでいって床が見えない状態で過ごす。 で、何をすべきかを決めていく。 これが一番つらい。 何やればいいのか、どれだけあるのか、何もわからないのに優先度をつけて何をやるのかを決めていかないといけない。 って、やってる横から49日の食事どうすんだ何人集まるのか今すぐに連絡とれとか妹に催促され、おれ氏キレて二日間スマホの電源を切ってた。 いや、でもこの情報遮断はある意味良かったかも。 とにかく次から次にタスクが増えてく状況で流入を止めて資料作成とかに意識を回せたからな。 貯金や定期の残高集計、お金の流れをすべて把握、どうお金の流れを止めていくか。 って、やっていくと一度やれることが止まる状態があって、一つ目が戸籍謄本へ亡くなったことが記載されるまでに10日ぐらいかかるのね。 それを使わなくてできる手続きをやり続けて、sの戸籍謄本がなければできない手続きに到達したときの日数の差が一旦の休憩できる日。 自分の場合、そこまで7.5日ぐらいかかってて、2.5日の間ができたかな、ちょうど土日になったので滑りに行けたわけだ。 で、それが過ぎると戸籍謄本が手に入るのでそれを元に手続きをする。 まあ、手続きと言っても意味がわからないことを勉強して書類集めて記入して提出して、あれもう窓口閉まってるじゃん、とかやってれば数日はあっという間なわけで。 マジでお前ら日本語しゃべれよ、って頭の中で切れてることもあったり。 で、この辺りの段階で銀行やなんかに連絡して凍結してもらった、全部じゃないけどね、ある程度。 で、今度は遺言書がないと手続きができなくなって止まる期間になる、今がそれ。 遺言書作ったとは聞いてたがどこにあるのかがはっきりせず、家にはないし、公証人役場にも出向いて照会してもらったがなし、となると貸金庫かなと。 で、今回調べてて知ったんだけど、遺言書は貸金庫に入れちゃだめよ、家族が困ります

父親の、通夜と葬儀が終わり

 父親の通夜・葬儀、終わりました。 家族葬、という形を取りましたが、やることは普通の通夜・葬儀で、呼ぶ範囲が狭い、会社・知人・近所の人を呼ばないという感じですね。 結果的には自分たちも含めて25人から30人弱で微調整でした、当初は20人プラスアルファかなとと考えてたのでまずまず精度で動き出せたのかなと。 家族葬、ほんとに数人から、もう少し多くや、連絡する範囲も実際は曖昧ではあるようです。 やる側としては、連絡先がわからない、人数が読めない、その不確定さが大幅に減らせる。 近所にも家族葬であれば連絡なし、もしくは事後で良いということだったので、うちは近所みんな建売でほぼ同時に入ったので事後で回覧板回すにしました。 やっているときも、喪主としては話に行くグループ単位の数が少ないし、そのグループのある程度は顔がわかるのでそこにいって話せばほぼ話がし終えられるのが圧倒的なメリットですねえ。 費用は人数が読めないことによる香典返しや引き出物、食事の数がたぶん3倍ぐらい??用意することになる、以外は基本は変わらないのでそんなに安くはならないと思います。 それでも金額の大きい祭壇とかは、お勧めされたのガン無視で、一番安いので、としたらさすがに兄弟にもうちょっとと言われたので花とかが回りにある一つ上にしましたが、置かれてみるとこんなもんだよなと必要十分でしたね。親戚からの花も多く出してもらえましたし。 お通夜の夜、父親の兄、と夜泊まったのですが、数日前に見つけた家に合った写真箱もっていったら良い暇つぶしになりました。 謎な、最近の父親のからおれらの子供のころのものまで、ある程度のものまではアルバムに入ってたはずだけどもっと昔までなぜかこの箱に入ってるのがあるわけで。 なんならおれら兄弟の小学校とか中学校の集合写真とか、果てはおれの小学校の修学旅行の写真(おれそんなもの初めてあるの知ったよ) こういうとき印刷された写真はまあ良いよねえとは思います。 逆に遺影に使った写真は、妹夫婦と写真屋で七五三かなにかのときの写真使ったのがDVDでデータあったのでそれなら拡大して切り出してもきれいなのでよかったですね、服もスーツ着てて顔もそりゃあ明るく撮れてますし。 いろいろあるけど、またあとで追加するかなあ? 今も現実逃避でこれ書いてるし。 まずはお寺への挨拶と、そして手続き手続きの山。 そもそも

父親、本日朝、他界しました

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  2泊3日の入院のはずが、2か月そのまま退院できずでした。 無線機かなあ?直してる途中のままです・・・。 徐々にではなく、ドカンといきなり悪く、またドカンといきなり悪く、で状況に適応していく間もなく慌ただしいという感じでした。 昨日も仕事帰り夕方は前までと同じ程度で大きい地震があって南海トラフがーって話をしてたぐらいで、まだもうしばらく、という雰囲気だったのが、夜0時ごろ呼び出されて、呼吸が激しくなってしまってて。 もう、とっくに覚悟はしてたので兄弟、あっけらかんと見送った感じではあります、最後、痛みに苦しむということもなかったですしね。 今は悲しむ暇も寂しく思う暇もなくバタバタしてます。