ローパスフィルタと民主主義
今ブログ主体なのは、見るのが面倒だから、コメントするのが面倒だから、拡散するのが面倒だから、言及するのが面倒だから。
一瞬でも面倒と思えば一定のローパスフィルタの役目を果たすから。
昔は民主主義って、自分たちのような小さな声が反映できない嫌いな仕組みと思っていて、例えば電子投票とかで全国から集めた小さな声の集合としての大きさが扱える仕組みが理想的と思ってた。
でもローパスフィルタとして一定以下の声は切り捨てるべき、と理解したら民主主義ってよく考えられてるなあと。
小さな声ばかりで何も決まらない、小さなおかしな考えだけど声だけ大きい意見、そんなものをいかに切り捨てるかが、培ってきた選挙制度ってものなのねえと。